〜それぞれの思惑〜




2010年06月07日(月)
上海環球タワーからみた上海市内(1997年当時)

中華人民共和国からみた魅力には以下の点があります。
海外企業の進出に伴い、社会整備インフラ(電気・ガス・水道・道路)が整います。
そして国内の雇用の場が増えることで、先進国への道を突き進めます。
さらに労働者の所得が増えることで生活水準が上がり、インフラ整備の結果、 国内の流通が盛んになります。製造業の企業が多く来る事から、輸出で外貨が増え、 金融投資が増えるといった面です。

そして、日本国からみた魅力には次のようなことがあります。
日本国内よりも為替相場の関係と生活費の安さなどから、労働賃金の安い多くの勤勉な労働者を 雇用する事が出来ます。教育水準も高く、豊富な天然資源もあり、インフラの需要に応じて 日本企業の海外建設工事の拡大があります。そして、中華人民共和国の国策による外資優遇策に より、法人税が安く、市場価値を見た場合も大きな販売市場が期待できます。

人件費の安さについては職種によりけりで一概にいえませんが、一例としてあげれば、
日本国で一人を雇うのにかかる人件費は、上海において28人、ベトナムのハノイにおいて40人、 シンガポールにおいて4.5人、韓国のソウルにおいて2人に雇う金額にあたるといいます。

この比較からも分かるように、中国において、人件費は日本と比べてかなり安いのです。 また、税制上の優遇策も採られており、企業にとって魅力的な環境が整っているといった好条件が あります。また、円高による日本企業の輸出不振もあり、中国やその他のアジア地域への 生産拠点を移していったのは、製造拠点としての条件の良さによるものです。

ところが、海外進出で成功している会社よりも失敗した会社の方が多いです。
失敗の理由について大別すると、どうやら労働方式の違いによるものです。

理由@優秀な人材が会社をすぐに辞めて、独立や転職をしてしまう。
理由A労働者の賃金が年々ハイペースで上がっている。
理由B住宅(労働者用)を企業が準備する事が多い。
などなど他にも多くあります。

2010年の今でこそ転職はあたりまえに日本国でも意識されるようになりましたが、 1997年当時の日本国では転職やベンチャーはあまり日本国内では目立たなかったようです。

では、成功した企業の経営トップ陣はどのような意識を持って数々の問題点を乗り越えていったの でしょうか?
それはまず、日本国側と中華人民共和国側の仕事に対する意識の違いを理解することだとのことです。
これは現地での日本企業を取材して分かりました。

中華人民共和国への進出当時の日本国側企業は、会社の利益最優先であったとのことです。ですので、 中華人民共和国への製造拠点移設において1番先に考えるこのは、製造コストが安いこと。 2番目に考えるのは、12億人というこれからの中国市場への対応でした。

自社のメリットだけを考えているのに対して、中華人民共和国側は当然ながら違う戦略ビジョンを持ち、 日本国の製造技術を吸収し、それを使って今度は自分たちでお金を稼ぎ始めたい。 つまり、自分で新しく会社を起業したり、欧米&日系企業で働いた個人蓄積された技術を持って、 更に好条件の他企業へ転職するのは躊躇はなかったのです。

今でこそ日本国でも、終身雇用制度や年功序列制度が崩壊し、転職や起業が経済雑誌でも 大々的に取り上げられていますが、1980年代後半の、この日中の認識の違いは大きかった ようです。

ビジネスを進める上で大切なことは、どこの国でのビジネスにおいても共通することですが、 手を組むパートナーとの真の信頼関係を築くことだそうです。

先ほどの失敗理由@はなぜ起こるのか。理由Aへの対策はどうするのかなどについ ては、中国に行って現地の日系企業の方々からお話を聞くうちに分かってきました。

このレポート後半部分のキーワード
外資企業の現地化
に深く関わってくるのです。