ロボットに心は宿るか?




ソニーが世界で初めて、あるロボットを6月に発売すると発表した。実はすでに製造業分野に おいて日本はロボット大国であり、車の製造ラインや、半導体製造工場など、工業用ロボット は浸透している。今回大々的に報道された理由は、自分の感情を表現でき、学習能力を持つと いう、つまり、擬似的な心を持っているロボットが登場するからである。

果たしてロボットに心は宿るのだろうか?いや、なぜ人は心をロボットに宿らせたいと思うの かを今回の出来事から自分の意見としてまとめてみた。

心のあるロボットを作りたいというのは、つまり人の心の仕組みを知りたいという知的欲求がある からだといえる。心のあるロボットは、まだほとんど知られていない人間の心の仕組みを知る 積み重ねから産み出されるに違いない。そして心とは、自分と相手との関係の中で生まれてくる 自分の感情ではないだろうか。だから、相手の心は分からない。しかし、想像は出来るのである。 よって、ロボットでも心を持つようにしたいという思想のもとに作られれば、心は宿るようになる と私は考える。

学級崩壊や銃乱射事件など、人の心が問題となる中で、あえてロボットの心を私はテーマに選んだ。 なぜなら、ロボットに宿る心は、実は私達人間の心の生き写しになると私は考えるからである。 子は親に似る、という諺があるが、私達人間の子になるロボットは、どのような心を持つように なるのだろうか。親の責任は重大である。